2026/08/04 15:59
犀角舎には、店主が集めてきたヴィンテージと並んで、内聯昇の布靴や、中国の独立系デザインレーベルの服があります。
古着を扱っていた場所へ新しい商品を加えた、という感覚ではありません。私のなかでは、初めから同じ棚に置かれるものでした。
私が見ているのは、古いか新しいかだけではありません。
布の表情。身体とのあいだに生まれる余白。縫い目に残る人の手。使い込むことで、その人のものへ変わっていく余地。
すでに長い時間を経てきたヴィンテージにも、いま中国で作られている服や靴にも、それがあります。
なぜ、いま中国なのか
最初から「中国のブランドを扱おう」と決めていたわけではありません。
麻や綿などの自然素材、身体を締め付けない輪郭、洗いや染めによる奥行き、継ぎ合わせや補修を思わせる縫い目。そうした服を探しているうちに、何度も辿り着いたのが、中国の独立系レーベルでした。
つまり、中国の服を探したというより、私が着たい服を探していたら、中国にあったのです。
盤扣や長袍、灯籠パンツの形を見れば、「中国風」と呼ぶことはできます。しかし、その一言だけでは大切なところが消えてしまいます。
惹かれているのは、分かりやすい中国的装飾ではありません。布を身体へ沿わせすぎない構造や、重なりと揺れの作り方、服を端正に完成させすぎない感覚です。
伝統的な服の形を、そのまま保存するのでも、単なる衣装へするのでもなく、現代の日常着として静かに組み替えている。その仕事に惹かれています。
内聯昇——いまも履かれている手仕事
内聯昇は、1853年に北京で創業した靴店です。
代表的な千層底布靴は、幾重にも重ねた布を麻糸で縫い締めて底を作ります。一足を完成させるまでに四、五日を要し、九十余りの工程を経るとされ、その制作技法は2008年に中国の国家級非物質文化遺産へ登録されました。
実物の千層底は、最初は本の表紙を思わせるほど硬く、底をよく見ると、針を通す位置に引かれた鉛筆の線まで残っています。
「伝統」という説明を読むだけではなく、手に取り、履き、作った人の痕跡を目で確かめられる。内聯昇の布靴は、過去の技術を再現した記念品ではありません。いまも足を入れ、暮らしのなかで使うことのできる、履く工芸品です。
麻依者——古びた表情と、少し外れた輪郭
犀角舎で選んだ麻依者の服には、自然素材の皺、洗いや染めによる色の揺らぎ、継ぎ合わせや手縫いを思わせるステッチがあります。
ただ素朴なのではなく、輪郭や布の配置には、どこか前衛的な違和感が残されています。懐かしいのに、既に知っている服には見えない。その両方が同居しています。
沉香布衣草堂——中国服を、日常の身体へ戻す
沉香布衣草堂は、リネンや苧麻、コットンなどの表情を生かしながら、中国服を思わせる形を現代の日常着へ組み替えています。
大きく取られた布、丸みのあるパンツ、長袍のような縦の線。身体の形を強く示すのではなく、身体が動いたときに初めて輪郭が現れます。
服を着て形を作るというより、布の中へ身体を置く。その感覚が魅力です。
衣路走来——作られた跡を消さない服
衣路走来の服には、切りっぱなしや継ぎ合わせ、補修を思わせるステッチなど、服が作られていく途中のような表情があります。
均一に整えることで縫製の跡を消すのではなく、その跡を服の一部として残す。着込んで皺や擦れが増えても、それが欠点として浮かびにくく、むしろ最初からあった表情へ自然に重なっていきます。
Crazy Zhang——衣服と生活道具のあいだ
犀角舎で選んだCrazy Zhang(疯子张)の巾着型リュックには、綿麻のざらりとした表情と、力の抜けた構造があります。
完成された製品として強く主張するというより、使い手の暮らしの中で皺や癖を受け入れていく道具に近いものです。服と鞄、装うことと持ち運ぶことの境目が曖昧なところに惹かれました。
在庫を持たずに扱う理由
犀角舎の中国服の多くは、ご注文をいただいてから現地へ発注する取り寄せ品です。お届けまでには、通常の国内通販より長い時間がかかります。
在庫を持たないのは、単に仕入れの負担を減らすためだけではありません。
大量に在庫を抱えると、選ぶ基準が少しずつ「売れるもの」や「早く動くもの」へ引っ張られてしまいます。私は、自分が着たいと思ったもの、手元に置いて眺めたいと思ったものだけを選びたい。
在庫を持たないことは、犀角舎が選ぶ自由を守るための方法でもあります。
古いものと、新しく作られたもの
犀角舎は、何でも揃う店ではありません。
ここに並ぶものを、すべて買ってほしいとも思っていません。展示を見るように、ゆっくり眺めてもらえれば十分です。そのなかに、いつか自分の暮らしへ迎えたいものがひとつあれば、それがいちばん嬉しい。
ヴィンテージには、すでに過ぎた時間があります。
内聯昇や中国の独立系レーベルの服には、これから時間を受け入れていく余白があります。
手仕事は、過去にだけあるものではありません。伝統も、陳列棚の中で保存されるだけのものではありません。
古いものと、いま作られているもの。
その両方を同じ目で見つめながら、長く残したいと思ったものだけを、犀角舎に並べています。


